皆様には、本年も大変お世話になりました。
昨日、実家の群馬県太田市に帰省しました。
5日までこちらで過ごします。
年末年始は、Webプログラミングに取り組みたいと思っています。
その内容は、スキルの相当な錆落としですね。
なぜ、コンサルタントがWebプログラミングか??
まず一つは、今の中小企業やベンチャー企業にはインターネットマーケティングが不可欠であり、本格的に自主性をもってそれらを実施していくには、どうしても人任せにはできないという自分のスタンスがそこにあるということ。
二つ目には、自分の興味関心が、再び時を経て、技術系に向いてきたということ。
もともと、自分は、学生プログラマ後、新卒で一部上場のシステムエンジニア職としてキャリアスタートしたのでしたが、25歳の時に脱オタク宣言を自らに課し、不動産のテレアポセールスから修行を始めたのでした。
以降、不動産・外資系生保・外資系商社と、成果の厳しい営業や企画実践部門の第一線でキャリアップしてきました。
余談ながら、33歳で独立後、自分の時間が少しできたので、37歳のときにフルコンタクト空手の道場に入門しました。5年後には黒帯を取得し、真の脱オタクはこのときに完了したと思いました(笑)
この頃から、本業集中の必要性を強く感じ、結局、44歳で空手からは卒業しました。2007年のことでした。
そうこうしているうちに、同年、サブプライムショックが日本経済を襲います。
ビジネスモデルの多角化を強く感じたのは、そのときからですね。
結局、コンサル業以外に、コンテンツ販売(話し方の通信講座)や講師業(プレゼンテーション講座)といった別事業への着手が多角化の内容でした。
確かに、それまでにもソーシャルアライアンスのセールストレーニングプログラム(MSP,MCP)のフランチャイズになり、コンテンツ販売には取り組んではおりましたが、そのスタンスは、あくまでコンサルティングのソリューションの一部でした。
ここで主導性をもった多角化のニーズが浮かび上がってきたわけです。
コンサルティングの実施には、クライアントを導いていくイニシアティブを持たねばなりませんが、外部環境の状況悪化がものすごくひどい時期は、イニシアティブの理由であるところの契約自体がペンディングとなってしまいます。
要は、コンサルの投資成果には時間という成熟もそれなりに必要であり、コンサルにかかる費用さえ、そのような時期は控えられてしまうということです。
クライアントに依存することのないコンサルタントとは、自らが仕掛ける実業の量と質が重要だと認識したわけです。
その後、スピリチュアルアーティストの綾小路有則氏の出版プロデュースやレンタルアート倶楽部の立ち上げへとつながっていきます。これが本2011年の多角化の目玉でした。
特にレンタルアート倶楽部のサイトオープンとその後のサイト運営は、インターネットを介したコンシューマ向け事業の大きな可能性を改めて私に気付かせてくれました。
来年に向けての、インターネットテクノロジーという技術系への回帰。。。
もっとも、セールス・プレゼンテーション・戦略といったアナログ系マーケティングの領域は、この四半世紀において、相当深くまで実践してきたおかげで死角がありません。
ここに技術分野が連動してくれば、強力なビジネスモデル構築に資することとなるのは必然でしょう。
もしかすると、私にとっての本当に脱オタクとは、インターネット時代に突入した今、技術分野に舞い戻ってきて、アナログ系マーケティングと結び付け、強力な事業を構築することだったのかもしれません。
昨日、実家の群馬県太田市に帰省しました。
5日までこちらで過ごします。
年末年始は、Webプログラミングに取り組みたいと思っています。
その内容は、スキルの相当な錆落としですね。
なぜ、コンサルタントがWebプログラミングか??
まず一つは、今の中小企業やベンチャー企業にはインターネットマーケティングが不可欠であり、本格的に自主性をもってそれらを実施していくには、どうしても人任せにはできないという自分のスタンスがそこにあるということ。
二つ目には、自分の興味関心が、再び時を経て、技術系に向いてきたということ。
もともと、自分は、学生プログラマ後、新卒で一部上場のシステムエンジニア職としてキャリアスタートしたのでしたが、25歳の時に脱オタク宣言を自らに課し、不動産のテレアポセールスから修行を始めたのでした。
以降、不動産・外資系生保・外資系商社と、成果の厳しい営業や企画実践部門の第一線でキャリアップしてきました。
余談ながら、33歳で独立後、自分の時間が少しできたので、37歳のときにフルコンタクト空手の道場に入門しました。5年後には黒帯を取得し、真の脱オタクはこのときに完了したと思いました(笑)
この頃から、本業集中の必要性を強く感じ、結局、44歳で空手からは卒業しました。2007年のことでした。
そうこうしているうちに、同年、サブプライムショックが日本経済を襲います。
ビジネスモデルの多角化を強く感じたのは、そのときからですね。
結局、コンサル業以外に、コンテンツ販売(話し方の通信講座)や講師業(プレゼンテーション講座)といった別事業への着手が多角化の内容でした。
確かに、それまでにもソーシャルアライアンスのセールストレーニングプログラム(MSP,MCP)のフランチャイズになり、コンテンツ販売には取り組んではおりましたが、そのスタンスは、あくまでコンサルティングのソリューションの一部でした。
ここで主導性をもった多角化のニーズが浮かび上がってきたわけです。
コンサルティングの実施には、クライアントを導いていくイニシアティブを持たねばなりませんが、外部環境の状況悪化がものすごくひどい時期は、イニシアティブの理由であるところの契約自体がペンディングとなってしまいます。
要は、コンサルの投資成果には時間という成熟もそれなりに必要であり、コンサルにかかる費用さえ、そのような時期は控えられてしまうということです。
クライアントに依存することのないコンサルタントとは、自らが仕掛ける実業の量と質が重要だと認識したわけです。
その後、スピリチュアルアーティストの綾小路有則氏の出版プロデュースやレンタルアート倶楽部の立ち上げへとつながっていきます。これが本2011年の多角化の目玉でした。
特にレンタルアート倶楽部のサイトオープンとその後のサイト運営は、インターネットを介したコンシューマ向け事業の大きな可能性を改めて私に気付かせてくれました。
来年に向けての、インターネットテクノロジーという技術系への回帰。。。
もっとも、セールス・プレゼンテーション・戦略といったアナログ系マーケティングの領域は、この四半世紀において、相当深くまで実践してきたおかげで死角がありません。
ここに技術分野が連動してくれば、強力なビジネスモデル構築に資することとなるのは必然でしょう。
もしかすると、私にとっての本当に脱オタクとは、インターネット時代に突入した今、技術分野に舞い戻ってきて、アナログ系マーケティングと結び付け、強力な事業を構築することだったのかもしれません。